*このところ毎日高麗神社の話題が続いていますが、

先日私が高松塚の衣装を着たことによって、高松塚壁画と高麗神社の関係の質問がありました。
そこで、高麗神社宮司の高麗文康氏著の『高麗王若光物語』は随分前に読んだきりでしたので、
少し読み直してみました。


やはり当時大陸から渡来した人々は大和に入り、
そこであらたな移住場所を探していたようです。
若光の親友の福徳という人が、先に東国に入り、まず海辺の大磯に移り住んだようです。
その関係で大磯にも高麗神社(現在 高来神社)があります。
若光は親友の福徳の後を追って、海路を使って大磯に向かったようです。
その大磯に滞在して、高麗郡を建郡する場所を探して道を作り、
高麗川のある武蔵国の日高の地を選んだようです。


この道を歩く高麗王・若光ウオークというイベントもあるようです。

http://komagun.jp/2017/0926/6632


高麗郡の歴史のHPです。

http://komagun.jp/komagun/history



奈良の飛鳥と日高の高麗神社に縁ができた私にとっても今回の古代装束を通して、
疑問点を投げかけてくださった方がいていろいろ再認識できました。


高麗郡 早わかり HP
http://komagun.jp/wp/wp-content/themes/theme419/images/komagun-qa.pdf



今日の明日荷の花    秋海棠