<穴八幡宮>
社殿が改修されて随分立派になっていました。
少し余裕が生まれたので、時々参拝しています。
社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、
この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀り、
1636年(寛永13年)ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神としたそうです。
1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、
社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると
横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れ、掘った人は「芽出度い」と
大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになったそうです。
3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を
幕府の祈願所・城北の総鎮護としたそうです。
(ウイキペディアより)
一陽来福のお守りの授与で知られ、
義母がよくもらい受けてきてくれた場所です。
境内も改修後で美しく整えられ京都の神社のようです。