先日、古都飛鳥保存財団より「飛鳥びと」の冊子が送られてきました。
裏面は明日香村観光マップ。
このところ、飛鳥をテーマにした、新聞記事やTV番組など、沢山、目にしますね。
これは高松塚古墳壁画発見50年に寄せて、飛鳥藤原京の世界遺産への登録の
準備をしているためです。
下記は先日高麗神社で行われた渡来人の里フォーラムの様子のブログです。
テーマは 高松塚古墳壁画発見50年 に寄せて。
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一昨年高麗神社の日本書紀セミナーに参加した折、少し発表の場を頂きました。
その時のレポートを記録として貼り付けておきたいと思います。
この時、日本最古の寺院の「飛鳥寺」をテーマに選びました。
何度か訪問もしたことがあり、この飛鳥大仏も記憶が深いので、。。。
以下はその時に調べた資料です。
2020.9.12 ⑤-3 推古14年4月壬申条後半 担当 植田早苗
1 飛鳥時代を代表する仏師 鞍作鳥 について 生没年不詳
止利仏師とも呼ばれ鞍作止利とも呼ばれた。
正式名は「司馬鞍作部首(しばのくらつくりおびと)。
代表作に飛鳥大仏と法隆寺金堂釈迦三尊像がある。
祖父は司馬達等(しばたっと)、父は多須奈(たすな)、叔母は嶋女(善信尼)、皆仏法興隆に功績をした渡来人の家系。祖父の司馬達等は継体16年(522年)に中国南梁から渡来し、大和(現在の明日香村)で草堂を営み仏像を祀ったとされる人物。
2 鞍作止利の名前について 参考文献 法隆寺・金堂釈迦三尊
飛鳥時代に仏像をつくった鞍作氏は、古墳時代にはその名が示す通り、鞍をはじめとする馬具生産をおこなっていたのではないかという見解があり、そのことは、仏教美術史や文献史学の研究者によって示されている。
古墳時代の馬具は、鍛金や鋳金などの金工のみではなく、紡織・刺繍、皮革加工、漆工、木工、玉作などの複数の手工業生産によって作られていて、その技術を仏像作りに生かしているのではと言われている。このように古墳時代終末期(飛鳥時代)の馬具作りと、仏作り(造寺造仏)には密接な関係が見いだせる。
3 止利仏師の代表的な作品と止利様式
飛鳥大仏は推古天皇を中心として発願され鞍作止利が制作した。
丈六仏(約4.85m)で年代のわかる現存の日本最古の仏像。
この像を金堂内に納入する時、大き過ぎて入らなかったが、止利が工夫して戸を壊さずに運びいれたとの伝承があり、その日に説斎(落慶法要)され、多くの人が集まった。天皇はこれを聞いて喜ばれ、近江国坂田郡の水田二十町歩を止利に下賜された。止利はこの田を私有せず、寄進して飛鳥の坂田に推古天皇の為、坂田金剛尼寺を建てたと言われている。止利の祖父の司馬達等(渡来人)は寺が完成した時、舎利を献上したとの説があり、父多須奈は用明天皇のために出家し、仏法を敬った。叔母の嶋女は尼となり、善信尼と名のって、諸尼の先達となった。このように祖父以来の仏教興隆の功績により、止利は大仁(たいじん)の位を与えられたという。この年より4月8日の灌仏会と、7月15日の盂蘭盆会が始まったと言われている。
しかし、飛鳥寺は鎌倉時代、建久7年(1196年)に落雷のため火災に遭い本堂が焼失したが江戸時代に再建されている。飛鳥大仏は顔の一部、左耳、右手の中央の指3本だけが当時のまま残っている。お顔は補修されているとはいえ、面長で杏仁形のつぶらな目で鼻筋が高く通り、目や口元に微笑みを漂わせ、限りない慈愛に満ちた表情をされている。この微笑みはアルカイック・スマイル(古拙の微笑み)と呼ばれ、飛鳥仏の特徴の一つとされている。
参考:飛鳥寺は蘇我馬子の発願で建立された日本最初の本格寺院。法興寺、
元興寺、飛鳥寺と名を変えている。
飛鳥大仏は推古天皇が発願、この時、高句麗の大興王から黄金三百両が送られた。古都飛鳥保存財団の資料によると1956年からの発掘調査によって、塔を中心に東・西・北に金堂を築き、中門からのびる回廊がこれらを取り囲む伽藍配置であることが明らかになり、日本に類例のないこの配置は高句麗の清岩里廃寺に近似していることから飛鳥寺の建築様式は高句麗から伝わったとされていた。しかし、2007年11月韓国でこの説を覆すような重要な発見があった。王興寺という百済の寺院の跡から飛鳥寺との関連を示す舎利容器がみつかり、その伽藍配置が飛鳥寺に似ていることがわかり注目されている。
法隆寺の釈迦三尊像の光背の銘文には聖徳太子没年の翌年(623年)
止利仏師によって作られたことが刻まれている。法隆寺の釈迦三尊像は完全な形を残しており、止利の貴重な作品。作風は独自な造形感覚で日本的に整斎された「止利様式」を確立。飛鳥大仏と同様に杏仁形の目、アルカイック・スマイルと称される不思議な微笑みを感じさせる唇、板を重ねたように堅く直線的な衣のひだなどが象徴的で力強く、威厳に満ちている。左右対称の正面鑑照性や光背、天蓋などの全体からなる様式は、中国北魏様式を伝え、さらに百済を介した中国南朝様式の影響も受けている。鞍作止利が名実ともに7世紀前半の彫刻界を代表する作家であったことを示している。
参考資料:『飛鳥寺と聖徳太子』 (岡本精一著 飛鳥寺 1988年)
『法隆寺金堂釈迦三尊』(水野敬三郎・米田太三郎・辻本米三郎著 岩波書店 1974年)
『日本と朝鮮半島 2000年』(NHK日本と朝鮮半島プロジェクト編著 NHK出版2010年)
奈良文化財研究所HP・明日香村HP・古都飛鳥保存財団HP
*明日香村観光マップは古都飛鳥保存財団に提供していただきました
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昨日高校時代の友人のMさんから立派な梨をお送り頂きました。
お義母様がこの春お亡くなりになったというので、気持ちばかりの
お供えを送ったところ、こんな立派な梨を頂いてしまいました。
西東京市在住のMさんとはスキー、信州、尾瀬、飛騨高山、そして大阪万博にも行きました。
近くの奥武蔵の山々の小登山も一緒に沢山してきました。
おもえば日本に初めてきた「ツタンカーメン展」も一緒に見に行った思い出もあり、
久しぶりの電話は1時間を超えてしまいました、、、。
長電話をあまりしない私にしては珍しい出来事でした。
たまたま高麗神社の高麗1300記念事業の代表の大野松茂さまが兄上で
最近お目にかかると時々お話させて頂きMさんの近況も伺えています。
お兄様は沢山の政治活動されてきた方素晴らしい方です。
(元狭山市長、埼玉県議会議員で、元衆議院議員文部大臣政務次官歴任)
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そして、昨晩の夜は友人で現在大垣在住のイレーネ賀集さんと
定例の<ラインビデオ>で近況を語り合ったのでした、、、。
2022年8月21日の青空、、。