春展  作家紹介

*金子信彦さんの作品の一部を紹介します。
  萩焼のコーヒーカップ
    丸みのあるゆったりした風合いが、
      豊かな時間を提供してくれる、、そんなコーヒーカップです。


湯呑茶碗。

*金子信彦 (陶芸・萩焼
 1980年から現在まで数々の美術展、陶芸展に出品、大賞、優秀賞などを多数受賞。
 2000年萩焼400年記念パリ展出品。2003年山口県文化功労章受章、
 2003年より日本橋三越本店三越ギャラリーにて個展開催。
 2007年日本陶芸展にて文部科学大臣賞を受賞。 
 2011年第66回山口国体にてモニュメント制作、城山窯で制作活動、
    山口県萩市在住。



萩焼に対する金子さんのメッセージが
   下記からご覧になれます。

http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/kanko/brand/dentou/hagiyaki.html



萩市観光協会のホームページです。
http://www.hagishi.com/


 
萩と夏ミカン

武家屋敷の土塀や生垣の中にたわわに実る夏みかんの姿は史都 萩の魅力の一つです。
その夏みかんは1700年代に現在の山口県長門市青海島の大日比の海岸に流れついたものを拾
って種をまいて育てたのが、初めと言われています。
その後、1804年頃、萩の江向に住んでいた樽崎十郎兵衛が大日比の知人から贈られた数個の
果実から得た種子を播いたのが萩の夏みかんのはじまりです。
萩は、毛利氏36万9千石の城下町として繁栄していました。しかし明治維新廃藩置県によ
り士族の生活も困窮がひどくなり、諸所に空地が見られるようになりました。
藩士 小幡高政は士族救済の一対策として藩政時代には萩地方各所に散在するにすぎなか
った夏みかんを増殖させることに着目しました。明治10年に1万本の苗木を侍屋敷のあとの
空地に植え、10年後には町村はほとんど夏みかんでうまったといわれています。
その頃から全国各地に夏みかんの出荷が始まりました。当初、夏みかんは「ダイダイ」、旧
暦の夏になると食べれるダイダイという意味で「ナツダイダイ」、または、形状から「バケ
ダイダイ」と呼ばれていました。
しかし、明治18年 大阪の問屋に出荷の相談をしたところ、出荷には賛成しましたが、大阪
では「ダイダイを食うとヨイヨイ(中風症)になる」といって嫌うので「ナツミカン」とい
う名にした方がよいでしょうという問屋の意見にしたがって、売名「ナツミカン」として出
荷されるようになりました。その後商品名として「夏みかん」が用いられるようになりまし
た。
夏みかん萩市の経済に関係の多い特産物となり、今現在も萩のシンボル的存在として全国
に知られています。  (萩市 花の江 ホームページより引用)



萩に旅をした思い出に明日荷の庭にも夏ミカンを植えました。